25th Anniversary since 1991

25年の歩み

History

いかにしてGROW by GLOWは誕生したのか。
当社のルーツと、25年に及ぶ災害復興、
地域創生への取り組みについて、ご紹介します。

1991

すべてはここから始まった

1991

すべてはここから始まった

1991年、代表取締役 有馬朱美の故郷である長崎県雲仙普賢岳が6月3日大噴火。大火砕流が発生し、死者43名という、多大な人的・物的被害をもたらした。この災害を報道で知った有馬は、当時勤務していた福岡から急遽島原に帰郷。しかし、火山灰で覆われる町を、上空をヘリが飛び交い、地上では装甲車が行き交う被災直後の島原は「まるで戦場のようだった」(有馬談)。
故郷の被害の大きさに大きなショックを受けつつも、一度は福岡に戻ったが災害が長期化する中で父親の入院を機に島原に戻る。そこで、さらなる大規模土石流の直撃を受ける中を有馬は車で逃げ切り、命拾いをした。それが町の最後となった。実家は土石に埋まりさらなる避難生活が始まった。
しかし、避難生活の中で、「このままでは島原が沈む。このままではダメだ」という気持ちが日に日に増していき、島原復興に向かって走り出すことになった。

1992 〜 1999

被災した故郷・島原で独立
復興を目指して活動を開始

1992 〜 1999

被災した故郷・島原で独立
復興を目指して活動を開始

1992年、有馬は勤めていた会社から独立。災害の真っ只中、仮設住宅生活の中で、リサイクルショップと企画事務所を同時スタート。島原の情報を配信する為に情報誌「ウエディングストーリー」(後に「エヴァプレス」→「エヴァシンク」と名称変更)を創刊し、復興への活動を開始した。
島原のモノと情報の流通を一翼を担う一方で、被災により人が消えた商店街に人を呼び戻すため、商店街でのローカル放送局を考案。同年、商店街放送局「スタジオEye」を開局した。地元の学校の放送部に番組を制作・出演してもらうなどのアイデアを次々と実現させ、島原の復興に邁進していく。

  • 1991
    情報誌「ウエディングストーリー」創刊 / 「ウェディングストーリー」を「エヴァプレス」に名称変更 / 商店街放送局「スタジオEye」開局

2000 〜 2007

イベントやラジオ番組を通じて
活動範囲を拡げ東京にも進出

2000 〜 2007

イベントやラジオ番組を通じて
活動範囲を拡げ東京にも進出

「エヴァプレス」では、さまざまな地域情報を細かく拾い、読者へと発信していった。その一方で、エヴァプレスをFMラジオ番組としても展開。紙だけではなく、電波によっても、地域情報を広く伝えることに成功した。
これまで、個人事業としての活動していたが、正式に法人化を決め2004年有限会社エヴァプレス設立。結果、事業の拡大とともに「エヴァプレス」は飛行機や高速バスの機内、車内誌としても採用されることとなり、九州で多くの方々に読まれる情報誌へと成長した。
自治体との取組含め活動の範囲が広がってきたことから、2005年に本社を東京に移転。活動の舞台を全国へと移すスタートラインとなった。そして、2006年、総合プロデュースを行う株式会社サーキュレーション・プロデュースを設立し、代表取締役に就任した。

  • 2000
    FMラジオ番組「エヴァプレス」放送開始 / オリエンタルエアブリッジの機内誌、高速バス九州号社内誌に採用
  • 2005
    エヴァプレス本社を東京都中央区に移転
  • 2006
    株式会社サーキュレーション・プロデュースを設立

2008 〜 2015

全国都道府県知事との対談をスタート
日本の地方創生に新たに挑む

2008 〜 2015

全国都道府県知事との対談をスタート
日本の地方創生に新たに挑む

2008年、「エヴァプレス」を「エヴァシンク」に改め、全国15,000カ所、全国全ての自治体を中心に計10万部を配布。その中で、都道府県知事との対談を実現し、知事同士の繋がりからリレー形式で次々と対談を進める。この対談から、日本の地方に眠る魅力を伝える一方で、地方が抱える問題をあぶりだした。また、自治体職員が出演するインターネット放送「スタジオEye」を都道県会館に開設するなど、日本の地方創生をテーマに活動。この活動が、2016年の当社設立の基盤となった。

  • 2008
    「エヴァプレス」を「エヴァシンク」に名称変更 / 全国知事対談スタート / インターネット放送「evathink」開始
  • 2012
    株式会社ミューチュアル・エイド・セオリーを設立
  • 2015
    知事対談「ニッポンの知事21」出版

2016

GROW by GLOW株式会社 設立